カイロプラクティック

カイロプラクティックの待合室で読んだ、絵本「たいせつなきみ」。

「たいせつなきみ」に出会ったのは、ストレスからくる頭痛が子どもに起きていた頃。
小さい頃から絵本を読み聞かせると落ち着いていたのを思い出し、寝る前に絵本を読み始めた。

5年生にもなって今更という気もしたが。
「たいせつなきみ」は、娘はすでに読んでいた絵本だが、私が読み始めるととても喜んで聞いてくれた。

人形の創作者エリについて「誰だと思う?」という私の問いに娘は即答で「おかあさん」。
4年生の息子は少し首をかしげながら「僕は、パンチネロが好き。」と言う。
「パンチネロは誰なの?」「ぼく」。

この本を知人に勧めたら、ポロポロ涙を流して読んでくれた。
自分自身をパンチネロにダメシールを貼る人形たちに重ねた。
シールを貼られるパンチネロはその人の娘さん。

存在そのものを愛しているのだと、親と子、双方に思わせてくれる絵本に巡り会えた。
どうしても手に入れたくて、通販でゲット。
いつ届くのか、ちょっとドキドキしながら、楽しみにしているが、どうしたものかまだ届かないまま。

再び、行きつけのカイロプラクティックへ。
するとなんと、品物はそこに届いていた。
信じられない話だが、配達先の住所を自宅では無く、こちらの先生にしていたのである。

恐縮しきりで受け取って帰ることにした。
身体の調子はいいし、今日は、本が手に入って気持ちも穏やかである。

昔読んだ絵本に対する憧憬

時々思い出したように、昔読んだ童話や絵本を読みたくて仕方がなくなる。
私の、いや私に限らず、人格形成において大きな役割を果たした数々の童話や絵本たち。
食べ物の出てくる本ばかり夢中で読んでいた私は、大人になった今も食べ物のことばかり考えている。

忘れられないのは、あめ屋さんの階段の下に住んでいるかわいいお化けの本。
くまの顔の形のキャンディ、のどが変な時にはハッカのキャンディを、あめ屋のおばさんがくれる。
いたちのケーキ屋さんの本では、きれいな緑色のコーティングをしたとかげさんケーキやら、マシュマロでつくったうさぎさんケーキとかのおいしそうな画が魅力的だった。
それから、アイスクリームのはじまりの本。
冷えたクリームを食べるのが日課の王様がいて、そのお抱えコックの愛娘達がうっかりミルクを冷やしすぎてアイスクリームにしてしまうという話。
それから、パンケーキを焼くのが得意なうさぎのお姫さまの話とか、お菓子の国の話とか。
思い出してもきりがない。
それ程に子供の本には食べ物の描写が溢れかえっていた。
その画にもう一度会いたいがために、お給料をもらえる身分になった私は、時たまネット本屋さんで、昔の絵本をあさるのだ。
書店の子供コーナーに買いに行くのはちょっとな、という時本当にあり難い。
そして大人買いをする。
そこで買った、かつて涎をたらさんばかりの勢いで読んだ絵本に再びめぐり合うと、懐かしい幼馴染に会ったような、泣きたいような気分になるものだ。
ちなみに、世の中にはこうして食べ物に尋常ならざる興味を抱いて育ってしまった大人がたくさんいるはずである。

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